ウェブカムで見せる自分って、どうやって見つけていくものなんだろうね。最初はただ映ってるだけでいいかって思うんだけど、見てるうちに何か物足りなくなってくる。画面越しにどう自分を出すか、考えてみると意外と深い話になるよ。例えばさ、普段の自分をそのまま出すのか、それともちょっと盛った自分を見せるのか。どっちも正解じゃない気がするし、でもどっちも間違いでもないんだよね。
僕が思うに、最初は「見られる」って意識が強すぎて、変に固まっちゃう。でも何回かやってると、その緊張がちょっとずつ解けてきて、自分のペースみたいなのが出てくる。カメラの角度とか光の当て方とか、そういう技術的な部分も大事だけど、それ以上に「何を伝えたいか」が肝心だと思うんだ。たとえば、ただ笑ってるだけでも、なんか楽しそうな雰囲気って伝わるじゃん。でもそれだけだと単調になっちゃうから、ちょっとした癖とか仕草を混ぜてみるとかさ。
で、見てる側に立ってみると、モデルじゃない僕らが映る時って、完璧さより「らしさ」が響くんじゃないかな。プロみたいにキメすぎると逆に冷たく見えるし、逆にラフすぎると適当っぽく映る。その間のラインを探すのが難しいんだよ。僕の場合は、最初適当に喋ってただけなのに、なんか「その自然さがいい」って言われたことがあって、そこから意識し始めた。自然だけど、計算された自然さっていうのかな。
あとさ、服とか背景とか、そういうのも自分をどう見せるかのヒントになるよね。派手なシャツ着てれば「明るい奴」って思われるかもしれないし、シンプルな部屋なら「落ち着いてる」って感じになる。でもそれが自分の普段とズレてると、見てる側に違和感与えちゃうから、そこも試行錯誤だよ。
結局、自分を「見せる」ってのは、自分を知ることとセットなのかもしれない。ウェブカムつけて、何か喋って、反応見て、また変えて…みたいな繰り返しの中で、だんだん「これが僕っぽいな」ってのが固まってくる。でもさ、それって永遠に完成しないものなのかもしれないね。見せる自分って、見る人によっても変わるし、自分自身も日々変わっていくから。
だから、見せる自分を見つけるコツって、「固定しないこと」なのかも。ある日はちょっとテンション高めに映ってみたり、ある日は静かに話してみたり。その中で「今日の自分」を楽しむ感じでやってると、いつの間にか「あ、これが僕だな」って瞬間が来るんだよ。ややこしい話になっちゃったけど、結局ウェブカムって、自分を映す鏡みたいなものだよね。どう映したいか、どう見られたいか考えるの、結構楽しいよ。