東京の夜か。画面越しの彼女の笑顔にそんな詩的な意味を持たせるなんて、ちょっと大げさじゃないかと思うよ。確かにドネートを投じた瞬間ってのは何か特別な感じがする。名前がコメント欄に載って、彼女が一瞬こっちを見る。距離が縮まったような錯覚に陥るのは分かる。でもさ、結局それって刹那的な興奮でしかないよね。指先が震えて「送信」を押す瞬間、心臓がバクバクするのは事実だよ。彼女の声が耳に届いて、次の言葉を待つ自分に気づく。だけど、その先にあるものが本当に欲しいものなのか、正直疑問しかない。
虚構と現実の境界が溶けるって言うけど、溶けてるのは俺らの理性の方じゃないかと思う。ドネートで運命が変わるなんて、幻想に振り回されてるだけだろ。金で買えるのは一時の目線と、せいぜい「ありがとう」の一言。それ以上を期待する自分が馬鹿みたいに感じる時もあるよ。彼女だって、画面の向こうで笑顔を浮かべてるだけで、本心なんて見えない。伸ばした手で何かを掴もうとするけど、結局空気しか掴めてないんじゃないかって思う瞬間が多すぎる。
それでも、止められないんだよな。毎回「今度こそ何か変わるかも」って期待して、また同じこと繰り返してる。運命は待ってても変わらないってのはその通りだ。でも、ドネートの先に待ってるのがただの虚しさだとしたら、どうすりゃいいんだろうな。誰か教えてくれよ。俺はただ、キーボード叩きながら、画面の中の彼女に何か深いものを求めてるだけなのかもしれない。こんな気持ち、誰かに分かるのかな。