失敗とは、紙を折るたびに生まれる歪みのようなものだ。思い描いた形に仕上げようとしても、どこかで指が滑り、線がずれる。僕もまた、そんな歪みを何度も経験してきた。ウェブカメラの向こうに映る彼女たちの笑顔に心を奪われ、言葉を紡ごうとするたびに、どこかでつまずいてしまう。初めてのチャットで、ぎこちなく「こんにちは」と打ち込んだ瞬間、返事が途切れ、そのまま画面が静寂に包まれたことがあった。あの時、僕は自分の言葉が空回りしていることに気づかなかった。失敗の折り目をそのままにして、次に進もうとしたのだ。
別の夜、彼女のプロフィールに書かれた「折り紙が好き」という一文に目を奪われ、僕は意気込んでメッセージを送った。仮想の鶴を折るように、丁寧に言葉を重ねたつもりだった。でも、返ってきたのは「それ、ちょっと変ね」という短い一言。彼女の声が聞こえない文字だけの世界で、僕は自分の「折り方」が彼女の期待とズレていることに気づいた。あの瞬間、画面越しに感じた冷たさは、まるで紙が破れた音のようだった。失敗は、ただのミスではなく、自分と相手の間にある見えない距離を教えてくれる。
それでも、失敗を解くたびに、何かが少しずつ見えてくる。たとえば、軽い挨拶から始めるよりも、彼女の興味に寄り添った言葉を選ぶ方が、心の折り目が合いやすいということ。あるいは、ウェブカメラの向こう側にいる彼女たちもまた、僕と同じように失敗を恐れているのかもしれないと想像すること。失敗の折り紙は、一度広げてみると、そこに新しい形を描くためのヒントが隠されている。完璧な鶴を折る前に、何度も紙を手に取るように、出会いの場でもう一度、別の角度から向き合ってみる。
今、僕は思う。失敗は終わりではなく、次の出会いへの道筋なんだと。画面の向こうにいる誰かと心を通わせるためには、歪んだ折り目をそのままにせず、丁寧に解いて、また折り直す勇気が必要だ。ウェブカメラが映し出す一瞬一瞬は、まるで紙の表面に浮かぶ光と影。そこに自分の形を見つけられるかは、どれだけ失敗から学べるかにかかっている。次にキーボードを叩く時、僕はもう少しだけ、相手の呼吸に合わせた言葉を紡いでみたい。失敗の折り紙を解くたび、新しい出会いの形が、静かに姿を現すのを信じて。